青く紅い日々

オリックス・バファローズと日常

和む男

戦力外が発表されて後日書こうと思っていた和男さん記事を。

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青波の速球王 散る。


残念ながらオリックス山口和男投手が戦力外通告を受けてしまいました。

別記事を書くほど好きな選手だったのでやっぱりショックです。


和男さんと言えば仰天発言。

どれも印象に残っているので「ええ言葉すくいます」企画第2回と合わせることにします。




和男さんのオリックスでの9年間を簡単にまとめてみました。



三菱自動車岡崎時代にNo1即戦力投手と言われ、

巨人・中日・オリックスが逆指名オファーを出し、

なんとオリックスを選びました。

仰木さんの人柄に惚れてこの人の下で野球がやりたい。確かそんな理由だったと思います。

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期待された2000年のルーキーイヤーでは、

1軍に定着できず、2軍で0勝10敗というため息ものの成績を残してしまう。


2001年 1軍に定着し、中継ぎとして5勝をマーク。


そして一番輝いた2002年


9回表 ダイエー松中に対する4球目。

日高のミットを弾いた豪速球は158Kmを計測。

どのスポーツニュースを見ても和男さんばかり取り上げられていたので嬉しかった記憶がありました。



それから2週間余りで・・・右肩板の炎症で登録抹消。

シーズンを棒に振り、そのオフ手術を決断。

リハビリで2003年登板なし。



その年の契約更改でダウン提示を受け、
「159km出したら引退します」

と仰天の引退発言をして話題を呼ぶ。



2004年 

開幕前に
「ライバルは自分の肩」

という和男節を放って復活。


球速にこだわらないピッチングスタイルに変更し、17セーブを挙げる活躍。

オールスター、日米野球にも出場し知名度も更にアップ。


そのオフ、ポスティングシステムでのメジャー移籍を志願するも、

仰木さんなどの慰留により断念。



2005年

仰木さんに
「40セーブ、160km出したらメジャー挑戦させたる。」

と言われて始まったシーズン。

が・・・またケガで出遅れ。


そしてこの年から始まった交流戦での「清原頭部死球事件」

ヘルメットの破片が飛び散るほどの衝撃。

(まさか後にこの2人がチームメイトになると思いませんでしたね^^;)

仰木さんに怒られ2軍落ち。

翌日の試合前に仰木さんは清原に謝りに行ったみたいですね。


そして2軍でストライクが入らず1イニング76球という日本記録も作った。


2006年 先発に転向するもノーコンが直らず2軍暮らし。

2007年 1軍登板なしで終わりかと思われた、

2008年 春先から好調で1軍に定着し4年ぶりに30試合登板し4勝を挙げる。


そして2009年


3月20日
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欽ちゃんに豪速球を褒められるものの、

開幕2軍スタート・・・



4月1日エイプリルフールに本人のブログで突然の引退表明。で大反響。

その後すぐの更新で
「ジョークのつもりだったのですが、ジョークで済まされない事になってしまった」

「ブログの恐ろしさを痛感しました。」

とお詫び。


ブログは不特定多数の人が見れるものなので誰が見ているかわかりません。

中でも和男さんの復活を信じて止まないファンの方々にとっては、

本当に冗談で済ませない思いをしました。


球団から厳重注意されたみたいですね(笑)

今季1軍に登板できなかったのもこれの影響が大きいかもしれません。



いつも寡黙でクールな和男さんが今年は終始笑顔だったのがなんか、

戦いを諦めたかのように見えて悲しかったです。
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結局、今季1軍登板なし。


10月3日 戦力外通告


試合外ではのんびりおだやかムードを醸し出し、

見ている者を和ませていましたが、

マウンドに上がると目つきが変わり、豪速球を投げ込む。そして驚愕発言する(笑)

それが自分の山口和男投手に対するイメージです。


和男さんの魂は和男さんがいつも可愛がっていた、西くんが受け継いでくれるでしょう。
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できれば背番号18も受け継いで欲しい。


豪速球がまた新天地で見れることをまだ諦めていません。

甦れ、豪腕。