青く紅い日々

オリックス・バファローズと日常

Bの血統

2015915日 Bs×H
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偉大な先人達が築き上げてきたものが今に繋がっていることを肌で感じた。
 
球団通算5000
 
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この歴史的瞬間を見るためだけに京セラドーム大阪に駆けつけました。
 
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大阪阪急野球協会(阪急軍)
 
 
たくさんの名監督、名選手、名場面、熱きファンを作り上げた球団。
 
 
この球団を作ったのは阪急グループの創設者・小林一三
この5000勝を迎えるにあたってこの偉人のことを知りたくなった。
 
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大阪府池田市にある小林一三記念館。
 
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球団史には、
1936430日 「第1回職業野球大会」甲子園で球団1勝目を挙げたと記されている。
 (一部撮影不可の展示物もあります)
だが、ここにあったのはそれ以前の試合が記されたもの。
 
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1936320日 宝塚大運動場 阪急軍 名古屋金鯱軍との3連戦の告知。
21日に阪急軍が勝利したと記されている。
 
この試合が阪急軍の初試合であり、初勝利だと思いましたが、
この3連戦はオープン戦みたいなものとしてカウントされているんですかね。
 
ーー兵庫県宝塚市ーーー
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球団が初試合、初勝利を挙げた宝塚大運動場があった場所へ行ってみた。
阪急宝塚ハウジングというモデルルーム。現在は。
 
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宝塚大運動場の跡地は宝塚ファミリーランドという遊園地がありました。
自分も小さい頃、何度か行ったことがありますが、
その遊園地もなくなりました。
 
道を隔ててあの宝塚大劇場があります。
 
ブレーブスはドラ息子、タカラヅカがドラ娘」と呼んでいたそうで、
阪急電鉄グループにかかる負担は大きかったんでしょう。
 
しかし小林一三は「私が死んでもブレーブスタカラヅカだけは売るな!」
という言葉を残したそうですが、
無念ながらその願いはかないませんでした。
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それだけではなく、ライバルというか下に見ていた阪神と合併するとは、
時代の流れというのは怖いものです。
 
右には阪急軍が生まれた大運動場、左には大劇場。
その間に小林一三の像があります。
その頭の上を阪急電車が通っています。
 
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今日もドラ息子、ドラ娘を見守っている。
そして、今日も阪急電車は走っている。
 イメージ 11Braves
 
 
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Bluewave
 
 
 
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Buffaloes
 
過去を重んじることは、
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今を軽視することではない。
 
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過去を知れば、今がさらに輝くものになる。
 
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3つのBが受け継がれている
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今のBsの選手たちが、ファンたちが
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また新たな歴史を
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繋いでいってくれるでしょう。
 
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5000勝のウイニングボールは
最後捕球した小谷野選手からのトスされた縞田拓弥選手のグラブの中。
なんとスタンドへ投げ入れる!!
 
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るフリして球団スタッフに渡す(笑)
そして満面の笑み。

 この1勝の重要さをわかってのおちゃめなシマタクでした。
 
このボール、小林一三記念館へ寄贈して欲しいですね。
 
球団創設79年にして5000勝達成。
 
2016年、そう今年は球団創設80周年。