イチローも人間だったという涙
記録に囚われた男の記録から解放された瞬間。
イチロー選手 (マイアミ・マーリンズ)
MLB通算3000本安打達成!
スタントン、イェリッチ、オスーナと屈指の外野手を擁するマーリンズにあって、
第4の外野手という立場は打開するのは難しい。
毎試合スタメン出場なら、
あれだけ足踏みせずに苦しむこともなかったのかもしれませんが、
チームメイトが駆け寄って祝福されているシーンに1番感動を覚え、
このマーリンズに来て良かったと思える瞬間でもありました。
3000本の中で、特別なのはやはり2012年東京ドーム開幕戦で見た4安打。
1人の人間に4万人が視線を向け無数のフラッシュ。
あれは夢の時間でもありました。
2016年7月
前回はプロ1本目のヒットを放った福岡・平和台球場跡でしたが、
今回は、真上を飛行機が飛んでる町の日常。
もうわかりましたね!ご存知、イチロー選手が生まれ育った町です。
県営名古屋空港がすぐそばにあり、発着の飛行機が低空で飛んでいます。
本数がかなり減ったとのことです。
まず訪れましたのは、
空港バッティングセンター
イチロー選手が小・中学生時代に父・宣之さんと通いつめたバッセン。
あまりにイチローが簡単に打ってしまうため、
父・宣之さんがここのスタッフに要望して球速の速いスプリングを取り寄せて
鈴木家特別の打席を用意したというのは有名な話。
それがこの8番打席。
せっかくなので、バッターボックスへ。
90kmのボールでさえも確実に捉えられないAOKUが、120kmなんて無謀!!
こんな速いボールを小学生で打っていたのか!!というくらい振り遅れる。
あまりに速すぎて、途中からオリックス若月選手の打撃フォームをマネして、
当てに行くも、ファールを打つのがやっと。
イチロー少年が夢を叶えるために必死に努力したまさにこの場所に
居れたことが最高でした。
(写真は同行してくれたタクシーのおっちゃんが撮ってくれました)
空港バッティングセンターから
到着しました。
I.FAIN (俗に言うイチロー記念館)
奥に見える豪邸が、ご実家です。
館内の写真・動画撮影が禁止ですので、パンフレットだけ。
一言で言うとファンにはたまらん空間でした。
日本とアメリカでの数々の栄光の証や、写真、ユニフォームやバットなどなど、
幼少期やっていたファミコンのカセットや読んでいたマンガとか、
勉強で使っていたノートや筆記用具まで大切に保管、展示されておりました。
1994年の190~199、201~209安打時のボールも展示
(200と210安打は野球殿堂に)
ボールを持って帰るあたり、この時から安打数と記録に対する執着心みたいなモノを
感じ、野球と言うモノがイチローをそうさせたのだとも捉えました。
チチローカレー発売5周年記念で来館者に無料配布
ということで喜んでいただきました。
あとは記念に今使用している同じ型のリストバンドを購入して、
豊山町を後にしました。
イチローに対してまだまだ知らないことはたくさんあったと
ここに来て思わされた旅でありました。
2016.06.16 サンディエゴ
日米通算4257安打 世界一のヒットメーカーに。
「ある時から感情を殺すことをずっと続けてきた」男の涙。
感情を殺すことができないほど、
苦しみやプレッシャーに勝った喜びが大きかったんでしょう。
人間は感情を抑えられない生き物。
イチローも人間だったということですね。
もう安打数を気にせず、プレーして欲しいと個人的に思いますが、
そのモチベーションがなければ、野球人・イチローとして成り立たなくなる。
白髪混じりの42歳。まだまだ夢の途中。
同じ時代に生きていることを誇りに思う次第であります。
またこういう場面を見たいですね。
できれば、また、いつの日か。