生き続けるフィールド・オブ・ドリームス
2013年のプロ野球シーンには特別なシーンが多い年だったように思います。
自分が1番印象に残っているシーンは、やっぱコレ。
イチロー 4000本安打!!
この4000安打が達成される前日の8月20日、とある場所を訪ねました。
この写真だけでどこかわかったあなたは真のプロ野球通です!!
ここはですね、福岡市にある 平和台野球場
の跡地。かつての西鉄ライオンズ、福岡ダイエーホークスの本拠地球場。
1992年7月11日
入団1年目の鈴木一朗に突然の知らせ。
球団マネージャー「明日から1軍だ」
イチロー「ちょっと早すぎるから、僕は2軍でいいです」
と断る・・・。
マネージャー「いいから行け!」
7月12日
怒らて、嫌々神戸から博多にいるチームへ合流。
いきなり2回裏から、レフトの守備に入り途中出場。プロデビュー。
2打数無安打。
7月13日
9番レフトで初スタメン出場。
ということで、訪ねました。
ちょうどこの辺りがライトフィールドです。(ライトからホーム方向)
これから21年間で日米通算4019本ものヒットを積み重ねていきました。
終了したのが1992年。
イチローがデビューした年でした。
の発掘調査が
1997年の球場閉鎖以来続けられている模様。
ここに鴻臚館があったということはですよ、
この平和台球場の前まで、昔は海だったという驚きの事実も、
知ることができました。
ここを訪れるまでに、平和台球場の歴史をちょろっと調べて行きました。
今も尚語り継がれる野武士軍団・西鉄ライオンズ
はい!ネットで調べただけのただの知ったかです!(笑)
「平和台事件」「黒い霧事件」の球史に残る出来事も知ることができてよかったです。
この日は猛暑日。37℃まで気温が上昇した日中の博多。
調べてもう一つ行きたい場所へ。
球場の小道を抜けるとそれはひっそりとありました。
ライオンズベースボールショップ
1979年創業より、西鉄ライオンズグッズを売り続けているファンの間では伝説の店。
店内に入ると、野球用品と並ぶ西鉄グッズ。
もちろん、写真の許可は得ております。
無敵の川上ジャイアンツを破って日本一になった時の写真。
若かりし仰木さんの姿を探しましたが、どれかわかりませんでした。
そう思えば、イチローが「唯一の師」と敬う仰木さんも、この場所で三原監督の指導を受け、
名監督へとなっていったんですよね。
(ホーム方向からセンター)
(センターからホーム方向)
名監督・仰木彬が育った場所、
世界のICHIROが1本目のヒットを放った場所。
イチローが初ヒットを放った時、まだ出会ってなかった2人の縁を
感じずにはいられなかった。
今も尚、望むことができる夢の野球場・平和台。