青く紅い日々

オリックス・バファローズと日常

生き続けるフィールド・オブ・ドリームス

2013年のプロ野球シーンには特別なシーンが多い年だったように思います。
 
田中将大投手の24連勝、バレンティン選手の60本塁打、4選手の2000本安打達成、
 
 
自分が1番印象に残っているシーンは、やっぱコレ。
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イチロー 4000本安打!!
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イチローを超えれるのはイチローしかいない。まさにそういうことです。
 
 
この4000安打が達成される前日の8月20日、とある場所を訪ねました。
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この写真だけでどこかわかったあなたは真のプロ野球通です!!
 
 
ここはですね、福岡市にある 平和台野球場
 
の跡地。かつての西鉄ライオンズ福岡ダイエーホークスの本拠地球場。
 
 
 
1992年7月11日
 
入団1年目の鈴木一朗に突然の知らせ。
 
球団マネージャー「明日から1軍だ」
 
イチロー「ちょっと早すぎるから、僕は2軍でいいです」
 
と断る・・・。
 
マネージャー「いいから行け!」
 
7月12日 
 
怒らて、嫌々神戸から博多にいるチームへ合流。
 
いきなり2回裏から、レフトの守備に入り途中出場。プロデビュー。
 
2打数無安打。
 
 
7月13日
 
9番レフトで初スタメン出場。
 
第2打席 ダイエー木村恵二 投手からライト前ヒットを放ちプロ初安打。
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ここ平和台球場。1/4000 イチローがプロ1本目のヒットを放った場所
 
ということで、訪ねました。
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ちょうどこの辺りがライトフィールドです。(ライトからホーム方向)
 
これから21年間で日米通算4019本ものヒットを積み重ねていきました。
 
 
ダイエーホークス福岡ドーム移転により平和台球場での公式戦開催を
終了したのが1992年。
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イチローがデビューした年でした。
 
 
現在の平和台球場は、鴻臚館遺跡(平安時代に築かれた外交のための迎賓館)
の発掘調査が
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1997年の球場閉鎖以来続けられている模様。
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ここに鴻臚館があったということはですよ、
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この平和台球場の前まで、昔は海だったという驚きの事実も、
知ることができました。
 
 
 
ここを訪れるまでに、平和台球場の歴史をちょろっと調べて行きました。
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今も尚語り継がれる野武士軍団・西鉄ライオンズ
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はい!ネットで調べただけのただの知ったかです!(笑)
 
「平和台事件」「黒い霧事件」の球史に残る出来事も知ることができてよかったです。
 
 
 
この日は猛暑日。37℃まで気温が上昇した日中の博多。
 
調べてもう一つ行きたい場所へ。
 
球場の小道を抜けるとそれはひっそりとありました。
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ライオンズベースボールショップ
 
1979年創業より、西鉄ライオンズグッズを売り続けているファンの間では伝説の店。
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店内に入ると、野球用品と並ぶ西鉄グッズ。
 
もちろん、写真の許可は得ております。
 
無敵の川上ジャイアンツを破って日本一になった時の写真。
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若かりし仰木さんの姿を探しましたが、どれかわかりませんでした。
 
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そう思えば、イチローが「唯一の師」と敬う仰木さんも、この場所で三原監督の指導を受け、
 
名監督へとなっていったんですよね。
 
 
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(ホーム方向からセンター)
 
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(センターからホーム方向)
 
名監督・仰木彬が育った場所、
 
世界のICHIROが1本目のヒットを放った場所。
 
 
イチローが初ヒットを放った時、まだ出会ってなかった2人の縁を
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感じずにはいられなかった。
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今も尚、望むことができる夢の野球場・平和台。