青く紅い日々

オリックス・バファローズと日常

ジョージ・アリアス

オリックスの歴代外国人を覚えている範囲で紹介するこのシリーズ。

早くも第2回を迎えてしまいました。



昨日の記事で「次回は投手を予定しています。」と書きましたが、

予定を変更して今回も野手でいかせてください!




今回取り上げさせてもらう選手は記憶にハッキリ残っている選手。


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ジョージ・アリアス  (在籍 2000~2001年)

内野手(三塁・一塁手) #5 from USA





言わずと知れたニールと同じホームランアーティスト。

2000年にオリックス・ブルーウェーブに入団。

登録名で遊ぶのが大好きな仰木監督の意向により登録名を「ジョージ」に。


しかし開幕直後の不振により「アリアス」に戻すと、アリアスのバットが火を噴いた。

そしてその年26本塁打を放つ。

その影には当時オリックスの打撃コーチだった高畠氏の存在があった。


二人三脚でアリアスのアッパー気味だったスイングを直し、

変化球にも対応できる日本対応版のジョージ・アリアスを作り出した。


西武の松坂大輔にめっぽう強かったことから「松坂キラー」とも呼ばれていた。


翌2001年 アリアスは更にホームランアーティストぶりを発揮。

インパクトがあったのはグリーンスタジアム神戸のレフト入り口ゲートまで飛ばした超特大弾と


東京ドームでショートの少し頭の上を超えた打球が

そのままレフトスタンドの最前列に飛び込むという見たこともない弾丸ライナー



中西太さんがショートのグラブのわずか上を超えた打球がそのままスタンドへ入ったという話は、

聞いたことがありましたが、それに近い打球だったのではないでしょうか。



そしてチーム最多の38本塁打・97打点をマーク。

当時まだ29歳。しばらくオリックスの4番は安泰だと思っていた矢先に・・・



2001年のオフに、とある番組で、

翌年から阪神タイガースの監督に就任する星野さんと解説者の田尾安志が共演。


長距離砲が欲しいと言う星野さんに田尾さんが、

「監督、オリックスのアリアスなんかいかがでしょう?いいバッターですよ。」

たまたまその番組を見ていたボクはギクっとしました。


アリアスのアの字も知らなかった星野さんは、

「そうか。じゃ調査してみるわ。」

ヤバイ・・・嫌な予感がする。



それから数日後。

「家族の為にアメリカでプレーしたい。」

オリックスの破格の契約延長の提示に難色を見せるアリアス。

家族愛それは他人には止める権利はありませんから仕方ないこと。


それからまた数日後。

「アリアス タイガース入り」

そうかデトロイトでプレーすることになったのか~と思いましたが・・・(笑)



阪神!?


「西宮やないかい!どこがアメリカやねん!」ってオリックスファンは思ったはずです。



まんまと虎にやられたわけです。

新聞に普通に「オリックスを契約満了になったアリアスを獲得。」と書いてあったのが、

余計に・・・・(以下自粛 笑)



2002年、縦ジマユニを着たアリアスは32本塁打を放ち、

阪神の18年ぶりのリーグ優勝に導き、自身もベストナインゴールデングラブ賞を獲得。


この時の阪神の優勝は

日本版アリアスを作り出した高畠コーチと星野さんに告げ口した田尾さんのおかげでしょう(笑)


この年の入来弟との大乱闘は有名ですね。


2003年に38本塁打 2004年に25本塁打を放ち活躍するも、

04年に球団を批判し解雇。




2006年シーズン途中に日本球界復帰を熱望していたアリアスを巨人が獲得。

しかし打率1割代と何もできずにまた日本を去っていった。




思い出しながら書くと結構長くなりましたが、

星野伸之さんと同様に最後までオリックスでプレーしていれば、華々しい最後が飾れたのに。。。

それが残念です。


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1年でカレンダーにも載る人気選手になったんですけどね。。。



アリアスもまたオリックスファンの記憶から消すことのできないホームランアーティストです。




次回こそ投手を取り上げたいと考え中です。