NON STYLEの優勝で幕を閉じた今年のM-1GP
メジャーなコンビが少なく前評判の低かった今大会でしたが、
個人的には今までで1番面白かった大会だと思いました。
2008年もあと1週間となりました。早いですねぇー。
『ネタ切れ必至シリーズ』第6回目。
M-1GPで3位になったナイツのネタにもありました、
『わたしは具になりたい』
・・・ということで。
ブルーウェーブを支えた偉大な投手の一人。
個人的にはブルーウェーブ最強の助っ人外国人投手だと思っています。
2000年 シドニーオリンピックで日本のメダル獲得を阻止したことで有名になり、
そのオフ、オリックスが獲得に乗り出す。
しかし、メジャーリーグの数球団も正式にオファーを出す。
最終的にロサンゼルス・ドジャーズとの一騎打ちになる。
メジャー志望だった具だったので、諦めていましたが・・・
なんと!
「(仰木)監督にものすごい親近感を感じる。なんでも話せそう。隣に住むおじさんみたいだ。監督に惚れた。この人の元で野球がやりたいと思った。」
と仰木さんの魅力に惚れブルーウェーブを選ぶ!
村松アニキがFA移籍してきてくれた時を同じ感動を呼びました。
2001年 1年目、開幕からクローザーとして活躍し、10セーブを挙げる。
しかし、先発が超薄かったためシーズン中盤から先発へ転向し7勝を挙げる。
2002年 2年目、先発してフル回転でリーグ2位の防御率2.52と活躍するも、
チームが投手が本当に可愛そうなくらい貧打で5勝しか挙げれず。
2003年 故障で本調子が出せないままシーズンを終えるも前年を上回る6勝をマーク。
この年から監督になった伊原監督(現巨人ヘッドコーチ)の中10日ローテ(先発登板直後に登録を抹消し、中継ぎもしくは野手の数を増やす起用法)に不満を爆発させ、対立。
シーズン中盤以降、しばらく2軍暮らしを余儀なくされる。
しかし、突然和解。
(具の先発より4番若武者のホームランの方が嬉しかった 笑)
2004年 6勝10敗
そのオフ、分配ドラフトを前に夢だったメジャー挑戦を表明し、
ニューヨークメッツとマイナー契約を結ぶ。
2006年に韓国リーグへ戻り、WBCでまたまた日本戦で勝利投手となる。
そんな記憶にも記録にも残る具投手ですが、
身体をひねってスリークォーター気味の投球フォーム。
当時良くマネをしました。
右打者をエグるスライダーはえげつなかったっすね~。
日本で奪った三振は504!!
ブルーウェーブ外国人投手の中ではもちろんダントツ1位!
結局4年間全て負け越しましたけど頼もしかったです。
オリックス以外に入っていたらすべて二桁勝利できていたことは言うまでもありません。
多分、仰木さんが監督じゃなかったら日本に来なかったと思いますが^^;
日本に無類の強さを見せ、日本キラーと嫌われていましたが、
日本の中でブルーウェーブファンにだけは愛されたコリアンサウスポー。
それが具 臺晟という選手です。
いっそのこと、
『わたしも具になりたい。』
それでは メリー具リスマ~ス♪