我らの平野恵一
「はい!捕ってすぐ返して!」
2013年 春 宮古島市民球場にて
「まだまだ遅い!」
「ハイ、女性も子供も安心して見ていられる練習よ!ハイ~」
「(スタッフに)ちょっと、平野さんにお水差し上げて」
「平野さんが汗かいて練習しているの初めて見た」
(いつも誰よりも汗をかいて動き回っているんやけどな・・・と苦笑い)
2人だけの愛のマンツーマン指導はなんと1時間も続いた。
両者、しっかりと目を見合う、そらすことなく。
2014年チームが窮地に追い込まれた際に監督がかけた言葉、
「恵一は、引き続きチームをまとめてくれ!」
オリックス復帰後の3年間、
紛れもなく「C」マークのないキャプテンだった。
「こんな小さい選手大丈夫なんかいな?」
そんな声は恵一のプレーを一目見れば消えていきました。
阪神タイガースへトレード放出。
濱中治選手が欲しかったからというのが放出理由。
オリックスでは経験できなかった優勝が
経験できたっていうのはよかったんじゃないかと思ってます。
永遠に語り継がれる2006年5月の千葉マリンでのあの
自分は球場に行くことがほとんどなくなってしまったんですが、
あのプレーを見て、
「プレーはテレビの中で行われているんじゃない!球場で行われているんだ!」
(↑このフレーズは今考えました。)
と思い、今のように球場に通う日がリスタートしました。
恵一の首元にあるマークを見るといつもそれを思いだします。
偶然遠征した試合が恵一の最後の1軍の試合になってしまいました。
豪快なホームランを打てなくても、
150kmのボールが投げれなくても、
見る者を魅了できるものが野球ですが、その概念をも超えた選手でした。
プレーだけでなく、勤勉さ、
明るい人柄、リーダーシップでも、
ファンのみならず、チームメイトも対戦相手も魅了した14年間だったと思います。
平野恵一、 稀代のガッツマン、
数々の素晴らしい瞬間をありがとうございました。